切子グラスと蒲田モダン
文 :NIPPON PROUD 森口 潔
協力 :有限会社フォレスト
写真 :森谷 修/鍋谷 孝
江戸切子とは? そしてそのオリジンは?
東京の伝統工芸として江戸切子というものがある。 さほどの頻度ではないが、筆者もちょっとした和食どころや名旅館に投宿した際に、食前酒が注がれた小さな切子グラスを見る事がある。 大抵が梅酒、桃酒などであるが、この盃がこれから味わう料理を視覚の面からも大いに盛り上げてくれるものだ。
江戸切子は江戸大伝馬町でビードロ問屋を営む加賀屋久兵衛が江戸後期にガラスの表面に彫刻を施す工夫をしたのが始まりとの事で、そうネーミングされて長い間伝承されてきた。 この江戸切子から派生するのが島津・薩摩藩が藩の御用達の産業にした薩摩切子。 この二つが日本特有のカットグラスの二大ブランドという事だ。
おそらく進取の気質に富む江戸っ子がとびついたんだろうなと想像に難くない。 ここでも外国から渡ってきたものを日本人の感性で独自に創り上げる手腕が発揮されたようだ。谷崎潤一郎の陰翳礼讃を持ち出すまでもなく、日本人は光と陰ととてもうまく付き合ってきた。 日本建築における障子戸などはその最たるもので外からの光を和らげて室内に取り込む繊細な感性はあらゆる「日本的」なるものに見てとれる。ガラスに深い溝を刻んで光を屈折させたり、細い線を密集させて反射の面白みを出したり、ある時はガラスを曇らせてその表現の幅を広げいった。
江戸時代に隆盛を誇った切子は、明治時代には新政府の殖産興業政策の一環としてガラス製造技術の促進策が取られて発展していく。 時代もかわり昭和も後期になると、総じて伝統工芸品がそもそも売れなくなり、職人の数も事業規模も縮小となって今も続く冬の時代へとはいり、それからは衰退の一途を辿っている。
国も伝統工芸や地場産業を保護していこうとあの手この手と差し伸べるが、封建社会なら話しは別だが、自由主義経済ではこのお上の施策は往々にして逆効果とすら私は感じる。
そんな中、私がその存在を知ったのが「蒲田モダン」の切子だ。
江戸切子といえばその発祥の地になぞらえて江東区や墨田区で作られるものがほとんどだが、このブランドは大田区の「蒲田」を冠にしている。 蒲田という土地柄は、パチンコ店や風俗店、安価なホテルが駅周辺に集まり、長い間治安が悪い町との定説があってイメージの悪さが際立っていたが(現在は住みたい街の上位にランクインされているとの事だが)、あにはからんや、ほんの100年前は流行の最先端の町だった。
蒲田モダンという文化の開花
大正から昭和にかけて蒲田には当時日本初の和文タイプライター開発をした黒澤商会、また当時はとても貴重な高級洋食器を創る大蔵陶園、国内初のクリスタルガラスを作った各務(カガミ)クリスタル、東洋オーチスエレベーター、香料メーカーの高砂香料などなど最新の、最先端の製品の工場が集まった。 何よりもあの「松竹キネマ蒲田撮影所」があり、ここを「東洋のハリウッド」と言わしめたことは、蒲田を語る上で最も重要なことだろう。 田中絹代さんはじめ当時の雲の上にいる女優さんや、今も根強いファンをもつ小津 安二郎監督が活躍したまさに「キネマの天地」だったのだ。 銀幕のスターや花形監督が闊歩する街にはきっと当時のモダンガールやモダンボーイが洒落のめしてそぞろ歩いたに違いない。 また私のような日本のモダンデザイン好きオヤジにとっては、かの染色家の芹沢 銈介がこの街に工房を構えていたことも非常に興味深い。 民藝の街でもあったのだ。
そんな蒲田の歴史や文化をバックに、この地に生まれた鍋谷 孝氏が切子の将来も見据えつつ1992年に興した会社が「有限会社フォレスト=蒲田モダンの切子」である。 このブランド名は、名もなきの職人たちが蒲田という当時の最先端の街で腕を振るい、そしてその価
値を共有する商人がそれらを販売した。そんな時間すべてをリスペクトする姿勢を表しているように思われる。
シリーズの中でも「水鏡」は、切子職人の彼の父が得意だった円のカット技術を生かしたものだという。 水滴がごく自然に繋がっていく様を捉えたデザインは、懐かしくも新しい紋様である。 私には江戸火消しの印半纏や家紋のとてもモダンなグラフィックが想起させられる、と同時にこの小さなディンプルが使用時には滑り止めになるという機能も持っている。
鍋谷氏は、まだ若い頃見聞を広める為に欧州旅行に行った際にイタリアでその後の考えを決定づける光景を目にする。 それは、何でもない街のスーパーマーケットでイタリアのおっちゃんが、美しいガラス器を販売していた姿であった。 日常生活の道具として美しいガラス器が販売され、それを普通のイタリア人が家庭で使っている現実にハッとさせられたと言う。
暮らしの中にある美しい日用品こそが、何気ない日常にふんわりと幸せな瞬間を作ってくれるものだと思う。 蒲田モダン切子が、「私は伝統工芸品なのよ!」と我々を突き放すのではなく、寄り添ってくれるように思うのは、鍋谷氏のこの考えがベースにあるからなのだろう。
ごく自然体の伝統工芸品とは
誤解されることを覚悟でいうならば、私は外国人向けにアレンジされた日本の伝統工芸品はあまり好まない。 更にいえば、フジヤマゲイシャ的なジャポニスムのお土産品化したものにも目を覆いたくなる。 なぜそこまで自らを貶めるのかと。
何も歪めず、過去から現在に連なる時間に自然に身をゆだねることが大切なことだと思う。
もし日本に来た外国の方から、何をスーベニールとして持ち帰るのがいいのかと問われたら、私は間違いなくこの蒲田モダンの切子グラスをお薦めするだろう。 なぜなら、ことさらにその技術をひけらかす事無く、慎ましやかで目立たないが、うちに秘めた強さと美しさが、とても「日本的」だと感じるからだ
そんなことを考えながら今日は「蒲田モダン」のGUINOMIで冷酒を飲んでいる。
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