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NIPPON PROUD にっぽんプラウド | 日本のモダンデザインインテリア 偏愛カタログ

映画「ナインハーフ」とミニマルインテリアに関する独りよがりの考察

映画「ナインハーフ」とミニマルインテリアに関する独りよがりの考察

2021.04.14

主人公の部屋がみせるミニマルでモノトーンのインテリア

映画を鑑賞していると、もちろん物語の背景になるその土地の風景や途上人物のファッションに目が行くのだが、私の場合はそれらと同じくらい部屋のインテリアに興味を惹かれることが度々ある。 なかでも1986年に公開された「ナインハーフ(NINE 1/2WEEKS)」は特に私の印象に残っている映画の一本だ。      もう35年も前の作品だが、見直してみると 一つ一つのカットが非常に美しい。さすが映画「フラッシュダンス」のヒットを飛ばし、もともとはCMのディレクターだったという肩書を持つエイドリアン・ライン監督の作品だとうなづける。 今は見る影もないが、当時のミッキーロークと、やはり絶頂期と思われるキム・ベイジンガーの二人の主役もフォトジェニックで、この二人でなければ成り立たないストーリーだと思うし、キャスティングの成功例だと言えるだろう。   逆光や、ほぼモノクロに見える場面などでは、肌の色や風船などを象徴的に差し色にするなどの映像テクニックは今も色褪せていない。   

ナインハーフの予告篇/エイドリアン・ライン監督の映像世界が広がる。
逆光や、ほぼモノクロに見える場面などでは、肌の色や風船などを象徴的に差し色にするなどの映像テクニックは今も色褪せていない。   80年代のロック界のダンディズムとも言われるブライアン・フェリーやユーリズミックス、デュラン・デュランなどのおしゃれなサウンドトラックもセンスが光る。 
ジョンの部屋/マルセル・ブロイヤーの椅子などの名作家具が並ぶ
マッキントッッシュのヒルハウスチェアをオブジェにしたインテリア
ジョンのオフィス/ル・コルビジェのソファが置かれている

そして時代背景といえば、まさにこれからバブル期に向かってその坂道を登り始めようとする時。 主人公のジョン(ミッキー・ローク)はウォール街で投資関係の仕事をするヤングエグゼクティブ、最近はとんと耳にしない「ヤッピー」だ。 そして彼の部屋や仕事場は、絵に描いたような生活臭のまるでないモノトーンで当時も今も高価な名作椅子を配したミニマルなインテリアだ。 監督の狙いもそこにあるのだろう。  経済的には何不自由のない、社会的地位もある都会の男女、見た目もスタイリッシュでいちいちカッコいい。 だけど埋められない孤独感に苛まれ、人との真のコミュニケーションを渇望するも短絡的な行動しか取れない内向的な彼ら。 そんな彼らの住む部屋は、お決まりの高層のマンションだったり、ペントハウスだったり、広いロフトだったりという風に表現される事が多い。  

ミニマルインテリアの功罪とは

インテリアの変遷において装飾主義的なスタイルとシンプルでミニマルなスタイルは、表現される言葉を変えながら交互に繰り返されてきたように思う。 今の時代もモノが飽和状態になり、断捨離からのミニマリストを進める風潮も少しづつ高まってきているようだ。 数寄屋造りや書院造りに見られる日本建築もわびさびの世界観と共にシンプルでミニマルな存在だと言えるだろう。 一時欧米からは、その神秘的で東洋的なインテリアや暮らし方を「ZEN(禅)スタイル」とひとくくりにされて呼ばれたこともあった。  確かに無駄なものを廃して、必要最小限のもので暮らすのは、経済的にも精神衛生上も、無駄なごみを排出しないという点においてもよいことだとは私も思う。 だが、このナインハーフのジョンのようにどこかしら排他的で、完璧主義で自己満足のかたまりを見るような部屋に案内されたら、息が詰まってしまう。 けして友達にはなれないだろうな。 無駄なものや意味のないものやことがあるから人間だと思うわけで、杓子定規になんでも処理していたら無味無臭の「つるん」としたものになってしまう。     

やはりなにごとも「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのではないだろうか。  この映画を見て監督の意図するところも汲みとりながら、インテリアスタイルにまで考えを拡げる私でした。