アパート生活展と剣持勇のスタッキングスツール
- 文:NIPPONPROUD 森口 潔
アパート生活展と銀座松屋
日本独自のモダンデザインを目指すべくジャパニーズモダンを提唱した剣持 勇が「スタッキングスツール No.202」を発表したのが1958年の銀座松屋で開催された「アパート生活展」である。 これは「2DKに暮らす4人家族」をテーマにした催しものだが、1958年(昭和33年)という時代背景と、日本のモダンデザインが人々の暮らしとどのように関わりを始めて来たかを見るうえでとても興味深い。 昭和33年というとまさに映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で再現された舞台そのままである。 完成間近の東京タワーは、当時建造物では世界一の高さになると大きな期待を集め、同時に日本人の自信の礎になっていた。 かのスーパースター、故長嶋茂雄が巨人軍に入団した年でもあり、高価だったテレビや冷蔵庫、洗濯機が普通の家庭にも普及し始めた頃でもある。 そして1964年のオリンピック開催へ向けて、高度経済成長の道を疾走するという時代背景だ。
そんな高度経済成長により都市型の集合住宅が増えたことを受けての「アパート生活展」なのだが、展示会場となった銀座松屋の果たした役割は今日まで非常に大きい。 馴染の深い方も少なくないであろうこの銀座松屋は、今年(2025年)開店100周年を迎えた。 百貨店初のカフェテリア式の大食堂を展開したり、店への送迎バスをはしらせるなど百貨店の大衆化に大きく貢献した歴史を持つ。 とりわけ松屋の名を際立たせているのが「デザインの松屋」としての存在だ。
7階に今もある「デザインコレクション」という売り場は、1955年に日本デザインコミッティーと松屋が立ち上げたデザインのセレクトショップで「デザインの松屋」たるゆえんでもある。 日本デザインコミッティというのは、1950年代前半に「グッドデザイン運動」なるものによってデザイン啓蒙をしようと集結した非営利集団のこと。 創設メンバーは、建築家の丹下健三や吉阪隆正、清家清、デザイナーの剣持勇、柳宗理、渡辺力、亀倉雄策、評論家の勝見勝、浜口隆一、瀧口修造、写真家の石元泰博、そして芸術家の岡本太郎という錚々たる顔ぶれだ。
日本デザインコミッティーのメンバーの審美眼によって世界中の優れたプロダクトを選定し、松屋銀座にて展示・販売をする。 メンバーは時につれて変わるものの、この活動は今も変わらず続いている。 グッドデザインをメンバーが厳選し、販売のプロである松屋銀座が7階に売場をつくること、そしてそれを70年も継続するという事は、一長一夕にはなかなか出来ない事だ。 1989年には「生活デザイン百貨店」をコンセプトに掲げ、今日の“デザインの松屋”としての地位を確立した。
話をもとに戻そう。 「アパート生活展」(1958年)が銀座松屋で開催された当時(1958年)、日本の住宅不足は深刻で、何と271万戸分が足らないとも言われていた。 そしてこの住宅難を解決するために日本住宅公団が生まれ、都市部に公団住宅が続々と誕生したわけだ。 ダイニングキッチン、ステンレス製流し台、シリンダー錠、洋式トイレなどの当時最新の住宅設備を備えたいわゆる団地には、「憧れの住まい」を夢見る夫婦の申し込みが殺到し、抽選に当選するのも至難の業であったという。 そんな憧れの住処も、いかんせん専有面積はけして広くない。ならばとスタッキングが可能で小ぶりで省スペース化を実現し、なおかつ優れたデザインのこのスツールが生まれ、爆発的にヒットしたのも必然だったと言えるかもしれない。
剣持 勇というデザイナーの輪郭を作った人たち
既述の日本デザインコミッティーでも中心的な役割を果たした剣持 勇氏は、多くの人が認める戦後の日本を代表するインテリアデザイナー。 「ジャパニーズモダン」と称されるデザインの礎を築いた人物だ。 剣持氏は東京高等工芸学校木材工芸科(現・千葉大学工学部デザイン学科)を卒業し、その後、1933年に商工省(現在の経済産業省)工芸指導所(仙台)に入所。 ここでナチスから逃げるようにして来日していたドイツの高名な建築家ブルーノ・タウトから薫陶を受ける。 そしてその強い影響から椅子に求められる機能性の研究を行なうようになる また1940年には、日本のモダンデザインにも大きな影響を与えたフランスのシャルロット・ぺリアンと出会う事となる。 二人とも日本の建築や工芸、暮らしにとても興味を持ち、造詣も深かったと聞く。 剣持のジャパニーズモダンの提唱は、おそらく、この方たちからの指導や影響を受けてその基礎が出来たのだろう。
更に氏は、ここで培われたであろう探求心を持って日本のデザイナーとしては初めて1952年にアメリカに渡る。 当時の通商産業省(現在の経済産業省)の予算で約半年間見聞を広める。 そして、以前より近しい間柄となっていたイサム・ノグチの紹介を受けてチャールス・イームズと出会い、大きな影響を受ける。 1952年と言えばイームズも40代半ば。 夫妻で精力的に建築、家具のデザインを続けていた、いわば一番脂ののっていた時期である。 初期の成形合板はもちろんプラスチック、繊維強化プラスチック、ワイヤーを素材とした椅子をデザインし、家具メーカーのハーマンミラー社に続々と提供していた頃である。 そんな時期のイームズ夫婦から、どれほど強烈なインパクトを受けたかは想像もつかない。 帰国後は渡辺力、柳宗理とともに日本インダストリアルデザイナー協会を結成したり、1955年には剣持勇デザイン研究所を設立、丹下健三をはじめとする建築家と次々とコラボレーションをして内装のインテリアデザインの仕事を精力的に成し遂げてゆく。 今回取り上げたスタッキングスツールも1955年、そんな勢いに乗っている時にデザインされたものである。
秋田木工という存在
19世紀中頃、ドイツのミヒャエル・トーネット(1796年~1871年)によって考案された曲木(まげき)の技術は、木が持つ可塑性(圧力を受けて変型したものが、そのまま元に戻らない性質)を利用したもの。 天然の無垢材を煮沸し、鉄の金型に沿って曲げ成型するもので、この技術により、これまでのものとは一線を画す美しい曲線を描く椅子が、工業製品として作られるという画期的なものだった。 特に1859年にTHONET(トーネット)から発表されたベントウッドチェアNo.14は、世界で500万脚以上も販売されたという。 誰でも一度は、どこかで目にしただろうと思われる名作椅子である。
そんな曲木の技術は、明治時代の1906年に日本にやってくるが、国産品を優先するための国策で1909年に曲木椅子の輸入が禁止されることとなる。 そんな折に創業されたのが、このスタッキングスツールを製作する秋田木工だ。 1910年の創業以来、日本で唯一「曲木」の技術を専門として100年以上の歴史を築いてきた。 曲木の永い歴史の中でこの技術を持つメーカーもいくつかあったが、ブナ材の入手や保管のむずかしさ、また手加工の生産方式による高コストなどの理由により、現在は日本国内では、秋田木工のみがトーネットの技術を受け継いでいる。 秋田木工は、分業、外部委託などが一般的な現在の家具業界にあって、塗装や曲げ加工をする金物の治具作製までも自社で行う稀有な存在だと思う。
この曲木加工というのは、端的に言えば木材を加熱・加湿して木の繊維を柔らかくして型に入れて曲げ、乾燥させることなのだが、この過程で木材の水分量が相当数減少する。 この自在に曲線を形づくり、軽量化も出来る技術に剣持 勇も工芸指導所にいた1930年代に着目しすでにスタッキングスツールも試作を始めていたという。
これらの秋田木工の曲木に関する詳細は下記のYouTubeにて見ることが出来ます。
↑俳優の松重 豊さんが探訪する秋田木工
スタッキングスツールNo.202の価値
このように変化や進化を遂げてきた戦後日本の住環境においても剣持勇のスタッキングスツールは、かのアルヴァ・アールトのスツール60と肩を並べるほどの超ロングセラーのっ世界的な名作椅子だ。 実家の母も生前このスツールを愛用していた。 食事中でも配膳などで立ち座りが多かった母にとっては、どの方向からも座れて移動も楽なこのスツールは、とても重宝していたのだろう。 今でもこのスツールに座って、テーブルに肘をついてテレビの巨人戦に野次を飛ばしていた姿が浮かぶ。
名作たるゆえんは、何度も言うようだが、軽量で持ち運び易く、スタッキングが出来て場所を取らず、曲木加工による堅牢性とラインの美しさ、それに求めやすい価格にあると思う。 ただ私が師事する北欧と日本の家具の研究における重鎮である師に言わせると、「シート張りの加工が、名作と言われるには少々雑である。 座面の裏面でガンタッカ―留めして、その針も隠されていない。 ここは価格を上げてでも仕上げをキチンとすべきだ。」と。 私は半分賛成で、半分は反対である。 確かにスツールをひっくり返してみた時には、確かにこんな処理をしているのかという落胆はある。 がしかし、ちょっと器用な人なら簡単に張り替えられるようなこの仕様は、市場にヴィンテージのアイテムを多数提供することの一因にもなっていると考えられる。 フレームは堅牢であるが故、座面の張替えによってまた長く使われることになるからだ。 これは商品の開発当時に込められた希望や想いにも沿う事ではないだろうか。
まぁ願わくは、今のようにチェーンの大型家具店にドーンと山積みで置かれるよりも、きちんとその製品の背景や価値を知るオーナーがいるセレクトショップでもっと大切に扱ってもらいたいなと希望するのである。

- 商品スペック
- サイズ :W400XD360XH440mm
- 材質 :ブナ材(フレーム)/布(シート)・ビニールレザー
- 価格 :¥24,000~ (税込み)
- 納期:正式受注後約1ヶ月納期を頂戴します。