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NIPPON PROUD にっぽんプラウド | 日本のモダンデザインインテリア 偏愛カタログ

現代人の忘れ物~手拭い

現代人の忘れ物~手拭い

2021.12.02

文 :NIPPON PROUD  森口 潔
協力:あひろ屋

昭和の家庭には手拭いがたくさんあった。  わたしの 幼少の時にも家には手拭いや布巾が山のようにあり、掃除の時や食器を拭くとき、ある時は蒸し器や飯台の上にかかっていたり、銭湯に行くときの必需品になったりと、それはもう出番の多い暮らしの中の名脇役だった。  時と共にそれらは西洋化という名のもとにスポンジやキッチンペーパーやタオルや化学雑巾などに変っていった。  モノを消費して廃棄してゆくことを私たちは日常にしてしまった。  美しい日用品を隅っこに追いやってしまったことは、まずは考え直したほうが良いように思う。

江戸の街界隈の粋と野暮

多分に希望的な想像が入るが、花のお江戸には一定数の「粋でいなせな」人々がいて、今でいうインフルエンサーになっていたのではないだろうか。  当代きって歌舞伎役者だったり、花柳界の超売れっ子の花魁や、火消しの組頭のような人たちは、きっと庶民のあこがれだったに違いない。  同時にお上に対して反骨精神も持っていたことにもに皆が拍手をしたことだろう。                                                 江戸風俗を生き生きと伝えてくれた漫画家でもあり、江戸風俗研究家でもあった杉浦 日向子氏によれば、「型」の中にありながらも、常にその「型」に捉われる事なく揺れ動いていく精神性が「粋」であって、固定しまっているものは「野暮」と定義している。   つまり近代史以降の我が国や西洋の粋やシックというのは決まり切っていて面白みがない。 バッチリ決めているのは「気障(きざ)」で野暮より下位に見られていたというのだ。      「そらし方」や「崩し方」が重要で、一部の隙も無い状態は野暮天となる。 ただしこれらの感覚もその時の駆け引きによるものが多く、粋もすぐ野暮になるという難しさをいつも持っているという。

ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが過去の発言の中で「フランス人のタキシードやジーンズの着くずし方がとてもカッコいい」と言っていたのをおぼろげに覚えているが、まさにこれがドレスダウンの「粋」という事に当てはまることなのかもしれない。 ただし発言には基本をきちんと理解している人がくずすからと注釈が入っていたように思う。

そしてこれらの粋人が身の回り品として愛用したのが、手拭いだ。 身近なところでいうと今でも噺家が暗黙のルールの中で手拭いを粋に使いこなしているという。 流派にもよるのだろうが、二つ目に昇進すると自分の手拭いを作れるそうだが、自分の物は高座で使わないそうだ。 必ず仲間内の物を使う。 自分のを使うのは野暮という事らしい。  やれやれ「粋」というのはつくづく難しい。 

あひろ屋さんと手拭い

今回ご紹介する「あひろ屋」さんの手拭いは、染めの作業はもちろん染屋さんがするのだが、それ以外の作業をたった一人の女性が行い、世に送り出している。  野口 由(ノグチ・ユキ)さんは手書きのスケッチでデザインを起こし、染屋の職人さんと丁々発止のやり取りで色だしや構図を決め、出来上がったものをWEBショップを中心に販売をされている。  テキスタイルデザイナーで同じようにお一人で一貫した作業をされている方を知っているが、大変な労力と情熱がないと務まらないし続けられない。 と私は強く思う。

伝統工芸には「第三の目」が必要だとは、表現を変えて私の過去のブログに何度か書いた。  つまり伝統の技を忠実にトレースするための両目を持つことと同時に自らを俯瞰して見る目が大事だという事だ。 どうやってそこに新しい魔法の粉をかけてゆくことが出来るかと葛藤する姿勢が実は伝統を守ることになると。           あひろ屋さんの作り出すものにはその「目」を感じる。                                         ご本人は「いたずら書き」とおっしゃるが、その版下のスケッチは伝統的な意匠を用いつつも現代的な空気が漂う。  そして色出しにも時代の要請に応えているように思う。                           手拭い生地としては最も上等な「特岡(とくおか)」という番手の大きい細い糸を使ったものを使用していることもあひろ屋さんの手拭いにセンシティブな風合いを与えているのだろう。 

我が家の手拭い事情

子供のころ母親とテレビで歌舞伎の十八番「与話情浮名横櫛」を何度も見た。 切られ与三郎が再会したお富さんに自分の素性を明かすときに頬被りの手拭いをぱっと取り、「いやさ お富、久しぶりだなぁ」の名セリフを言う。  この時の所作が、子供心にもなんとも恰好が良く颯爽とした姿に見え、小道具である手拭いが果たしている重要さを無意識に感じてた。  また落語家が、手拭いを煙草入れにしたり、財布や書付けに模したりするのもなんとも趣きがあるなとも思っていた。  我が家の現実は鍋敷きにしたり、グラス類を拭くのに使ったり、蒸し料理が多いので蒸籠に掛けたりが多いのだが、本当は手拭いをもっと粋に使いこなしたいとずっと思っている。

似ても似つかない容姿だが、いつかは高倉 健さんのような着流しスタイルで懐から粋な柄の手拭いで汗を拭ったり、鼻緒が切れて困っている小股の切れ上がったキレイなお姉さんに手拭いを割いて直してあげたいとの妄想をし続けている。

あひろ屋さん手拭い

●商品スペック

サイズ: 約36×90㎝
染め : 注染
生地 : 特岡
価格 :¥1,210~