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NIPPON PROUD にっぽんプラウド | 日本のモダンデザインインテリア 偏愛カタログ

柚木 沙弥郎と紀寿と

柚木 沙弥郎と紀寿と

2022.10.27

文:NIPPON PROUD 森口 潔

超個人的グラフィックデザインの好み

筆者は、いわゆる「世界の名画」には至極うとい。 一般常識クラスの絵画も知らないことが多々ある。 素晴らしいとは思うし、時には引き込まれることもあるが、わざわざ美術館へ赴いたり、(無論高価なものは無理だが)部屋に飾りたいと思ったことは一度もない。 だが、1970~80年代に多感な時期を過ごしたせいもあるのだろう、いわゆるカウンターカルチャーの洗礼を受けて、アンディー・ウォーホルキース・へリング横尾 忠則らの作品には引き付けられていたし、傾倒もしていった。 もともと日本の誇るポップアートであると思っている浮世絵好きだという素地があったことも多分に影響していると思う。 

また、インテリアファブリックに関していうと、その洗礼を受けたのが最初に勤めた(1978年入社)スエーデンの家具ブランド「innovator」(イノベーター)を扱う会社の青山のショップでのディスプレイだった。 「インテリアテキスタイル」だの「ファブリック」だの「ケースメント」だのと聞きなれない用語と共に粟辻 博さんのテキスタイルに出会った。  大胆な図柄と鮮やかでビビッドな色彩は確かに空間に活力を与えるものだと思ったことを鮮烈に思い出す。 そんな洗礼を受けた後にMarimekko(マリメッコ)や前述の勤務していた会社で総代理店にもなったVUOKKO(ヴォッコ)というブランドと出会い、北欧のテキスタイルデザインにどんどん引き込まれていった。

柚木さんと普遍的な意匠

そんな私が柚木沙弥郎氏の世界の入口に立ったのが、10年ほど前。  長く彼のファンをされている方からすれば、新参者、ほんのひよっこだ。  当時私は日本のプロダクトを扱うインテリアショップ「nippon formにっぽんフォルム」という店のマネジャー兼MD担当で、いつも商品セレクトには頭を悩ませていた。 というのも日本人が作る日本的なるもの(この曖昧な限定も難しいのだが)を選びながらも、「現代」の日本人の暮らしに合うという篩(ふるい)にかけるという作業をすると、その網目を抜けてくるものは極端に少ないからだ。 洋のライフスタイル空間に無理矢理日本の伝統的なプロダクトを押し込めるとハレーションを起こす場合が少なくない。 またその洋におもねるようにして出来上がったものを配してもチープになるばかり。  セレクトしたアイテムをモダンな暮らしにチューニングしてゆく事こそが最も難しく、同時にまた楽しい作業なのだが。

思うに、 民藝にしてもアートにしても素朴な眼差しや、情熱が込められて、機能的で普遍的な美しさがあれば、時代を超えてモダンであり続けられるのではないだろうか。 まぁ文字にするのはたやすいが、私が柚木さんの作品と出会った時に感じたのは、「安らぎ」「郷愁」「邂逅」あるいは既視感だった。 アフリカのプリミティブなアートや縄文土器やミッドセンチュリーのプロダクトを見た時と同じように、なにか懐かしいのだけれど、とてもモダンだなぁと感じたのだった。  同時に長い年月情熱の灯を絶やさずに、ご自身の興味の対称になるものの表現活動をされてきたその時間はとてつもなく重いと思う。 重いはずだが、飄々としている様が更に凄い。

柚木作品と民藝

全くの浅い知識しか持ち合わせないが、少し「民藝」というカテゴリーと柚木さんの作品に関してお話したい。 筆者は、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」のコアなファンを自認しているが、たまに浜田 庄司河井 寛次郎の器が出品されて目の玉が飛び出るほどの高値が付くことを目にする。 あるいは民藝の器のお店で、中井窯や小鹿田焼などが結構な価格で販売されているのを見ることがある。 無論、自由主義経済社会においては、その価格は需要と供給のバランスによって大きく変わるものだとは承知はしている。 しかし待てよ、そもそも民藝運動なるものを起こした柳 宗悦氏の提唱するものは、実用性・アノニマスな無銘性・廉価性・複数性・伝統性などではなかったか。  多少悪意をふくむが、自慢げに自分のコレクションの民藝の器に盛った料理をインスタグラムにせっせと上げる方々や、「ほっこり生活」をズームアップするために民藝に囲まれて生活される方を取り上げる雑誌類などには本来の意義や意味が捉えられているのだろうか。  「民衆的工芸」という言葉とどうもしっくりこないのは私だけだろうか。。。。 まぁ あまり目くじらを立てるのも、本来おおらかで無心の美と言われる民藝に失礼か。

そんな私の考えが伝わったのか(伝わるわけないが)、柚木さんは雑誌「太陽」の深澤 直人さんとの対談でこんなことを仰っている。  「僕が求めるのは染色家とか民藝とかいうカテゴリーじゃなくてAnother Kind of Art(過去の形式にも定義にもあてはまらないアート)なんだ」「世の中も工芸とか民藝とかいうものの見方が変わってきてるんじゃないかな」とも。  レッテル貼りやカテゴライズは、時としてアーティストの創造性をも制限してしまうものだ。 やはり柚木さんを「民藝」という枠だけに押し込めるのは、あまり意味がないように私は思うのだ。

そしてこれはあくまで私の想像だが、柚木さんが「民藝」の世界にごくごく自然に溶け込んでいったのは、師と仰ぐ方たちの”カッコ”よさ”も大きく作用したのではないかと。 ご本人の回顧にも柳 悦孝氏(柳 宗悦氏の甥)と芹沢 銈介氏のルックスの良さを仰っているが、お二人とも背が高く、イケメンだったようである。 女子美に講師としてお二人が現れると女子大生が大勢で自然と後についてくるというのは、昭和20年代という時代を考えると大変な驚きだ。 先を行く人たちが見目麗しいというのは、やはり後輩としても魅力的に映ったに違いないし、ぜひいろいろと吸収したいと考えたことだろう。 私はミーハーの肯定派で、ものごとの変化はこの行為から始まると信じている。(うるさい騒音だのだらしなく伸ばした長髪だのと大人に言われていたのに、ミーハーが絶対的支持をしたビートルズの今を見よ。)

無論そのカッコよさを構成する中に、創り出される作品の素晴らしさや、確固とした考え方も含まれるのは言うまでもない。

そして、我が家では、ソファの上にユーモラスで暖かい空気を作り出す柚木さんの描く動物たちがいる。 永遠にネズミを捕まえられない猫や、かたつむりにずっと会えない犬と一緒に。 そう言えば、3年前に97歳で亡くなった母が生きていれば柚木さんと1歳違いだから来年100歳だったんだなぁ。

柚木 サミロウ/クッションカバー

●スペック
サイズ:450×450mm
素材:綿100%
価格:¥6,820(税込み)