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NIPPON PROUD にっぽんプラウド | 日本のモダンデザインインテリア 偏愛カタログ

「雲棚」と日本人の融通無碍(ゆうづうむげ)

「雲棚」と日本人の融通無碍(ゆうづうむげ)

2021.09.12

文 :NIPPON PROUD 森口 潔
協力:Y2international

無宗教という宗教?

多くの日本人が、自分は無宗教であると思っている。 自他ともに自分は特別な宗教に属していないし、信仰を持たない人間だと認めている。                                                                                                                だが、これまた多くの人が指摘するように、私たちは越し来る年を祝い、クリスマスやイースターを祝し、厄払いをし、七五三、お食い初めをしたり、お盆を迎える。 祭りでは我先に神輿を担ぐ。 また、一年を24の節期に分けて節目節目でリセットしながら安心安全を祈る。 神事も仏事もキリスト教も一緒くたで、一番それらがはっきりと分かれるのがお葬式の時だったりする。 そして自然界の物には「八百万の神々」が潜在的に宿っているものだと多くの人が心の深いところで感じているし、信じてもいる。  いわゆるアニミズム(精霊信仰)というやつだ。

「融通無碍」とは、もともと仏教の世界から出た言葉という事だが、この世にある物はすべて繫がっていて互いに影響しあっているというものだ。 意味は転じて特定の物に囚われることなく自由に物事を考えたり、行動するという事になった。   日本の歴史の中で総じて神仏習合を良しとしてきた我々の宗教観になんとピッタリとした表現ではないだろうか。  まぁ筆者は、近頃の世の中には、なんと融通の利かないことが多いのかと嘆くばかりではあるが、、、  私たちの多くが無宗教という宗教の信者で、無意識のうちに宗教的な行動や考え方をしているという事なんだろうと思う。  悪いことをすればバチが当たるし、良いことをしたら因果応報できっと良いことが来るものと思いながら毎日を暮らしている。

祈りや願い、大切な想いは

世の中の平和や安寧を願い、亡くなられた大切な方に思いを寄せる、あるいは自分の中にある神と対話する。そうした「祈り」はとても尊いことだし、大切なものだと思う。 と同時に私たちのちっぽけな力では全く及ばない大いなる自然、もっと言えば地球というこの星には畏敬の念を持つべきだと思うわけです。  その無垢で純粋な気持ちが、宗教や宗派の違いや、こうあらねばならないという縛りで阻害されるのはちょっと違うなと思う。        大げさな仕掛けや装置がなくとも祈りの場は出来るし、何よりも大切なのは神具や仏具というインターフェイスを通じて自分の祈りや願いを相手に送り届ける事なのだから。

「雲棚」と井波彫刻とY2インターナショナル

そんな融通無碍な宗教観を持つ私たちをグッと引き付けるのが今回テーマに挙げた「雲棚」だ。         「雲棚」は、富山県南砺市井波に遺る伝統的な井波彫刻によって作られるいわゆるお札立てだ。 井波彫刻は寺社建築の欄間や衝立、祭りには欠かせない獅子頭などに用いられる600年の歴史を誇る由緒正しき伝統的工芸だ。 一昨年に某国営放送の「鶴瓶の家族に乾杯!」でV6の三宅 健がゲストの回でも紹介されていたので、お存じの方も多いだろうと思う。   そんな文化財ともいえる井波彫刻をぎゅっと凝縮し、コンパクトにしたこの「雲棚」を企画したのが、StyleY2International(スタイルY2インターナショナル)という姉妹ユニットだ。  姉が企画やコンセプト、営業を担い、妹がデザインやグラフィックを担当する二人三脚で、数々の伝統工芸、地場産業において様々な奮闘をしながら商品開発をしてきた。

この「雲棚」も、初めて訪れた井波にある瑞泉寺でその圧倒的な存在を見せつける井波木彫を目の当たりにして「あぁ この荘厳な雲が部屋の中でたなびいたらどれほど良いだろうか」と感じたという。 そこに今まで「毎年いただくお札をたいそうな神棚は置けない身では、どうしたら気持ちよくお祀り出来るだろうか」の命題とが脳内でドッキングしたという。                                                             確かにむかし私の母は、けして無信心者ではないが、お札を画鋲で柱に張り付けていた。 子供心になんて頓着がないのだろうとは思っていた。 そんなお札が落ち着く場所としての雲棚はナイスアイディアである。       二つの画鋲で壁に簡単に取り付けられる仕様も素晴らしい。

 ●雲棚の取り付け方法

様々なクライアントからお題を頂いては当意即妙で返してゆく様はまるで大喜利のようだ。           いつも彼女達の大喜利の答えは、かの笑点のベテラン落語家のようにいつも安定した笑い(成果)を取る。 けして突飛ではないが、「あぁ!そこに着目するかぁ」というちょっとした驚きと感心とクスッという笑いがある。  そして、その後に毒蝮 三太夫(山田君かな?)が座布団を三枚くらい持ってくるのだ。                      

よく取材を受けて、彼女たちをマスコミが表すると「伝統工芸を見事に現代の暮らしにマッチさせ云々・・」という事になるのだが、ご本人たちはその表現はしっくりとしないらしい。 なにか大雑把で、類型的な、ありがちな捉え方だと筆者も思うし理解もできる。  SDGsが叫ばれる中でも、今の世は大資本が莫大な宣伝料をかけて大量に生産し、大量に販売し、大量に消費させ廃棄させるのがこのマテリアルワールドの基本姿勢だ。 そんな中で使う側の人間は、玉石混淆の中からきちんとモノを(製品を)選別する目を養うことがとても大切だと思う。 その能力が備わってゆかないとステレオタイプの宣伝文句を鵜吞みにしてしまうのではないだろうか。 そのようなセレクトが出来るようにヒントをくれているのが彼女たちのような気がする。  

伝統工芸にまつわるエトセトラは話し始めるといろいろなところに派生して取り止めがなくなってしまうのがオチなので、今日はそろそろこの辺にしたいと思います。

お後がよろしいようで。

●商品スペック
サイズ:w225 h78 d40
素材 :楠(クスノキ)
制作 :井波彫刻の彫刻士
材料調達、検品、監修:井波彫刻協同組合
企画・ディレクション・グラフィック/Y2インターナショナル

価格 :¥24,970(税込み)