水之江 忠臣のブックチェア
テキスト:NIPPON PROUD 森口 潔
協力 :株式会社天童木工
同い年の超ロングセラーな名作椅子
天童木工の型番でいうところのS0507Nという椅子がある。 日本のモダンデザインを作り手として牽引してきた同社から1954年(昭和29年)に誕生した椅子で今日まで60年以上製造され販売されている。 はからずも筆者と同い年だ。 身体のあちらこちらにガタがきているのとは大違い、この椅子はいつも若々しく、立ち居姿は凛々しく、そこに揺るぎなく存在する。 もともとこの椅子は神奈川県立図書館で使われる為にデザインされたもので「ブックチェア」の愛称もそのことからつけられている。 無垢材で作られたストレートな脚部に三次曲面の成形合板の背と座の最小限のパーツで組み合わせで構成されたこの椅子はソリッドとプライウッドのハイブリッド型プロダクトとも言える。発売当初はチークのオイルフィニッシュ、のちにブナを経て現行品のナラになったという。
背と座の三次曲面の成形合板はブックマッチ(左右対称の木目)になっている 成形合板と無垢材の接合部分 下部から覗いたフレーム部分
出自が図書館用椅子なので、いわゆる業務用だが、その後は家庭用のダイニングチェアとしても購入されている。 業務用家具は業界ではよくコントラクトファニチャーと呼ばれ、家庭用のホームユースと厳然と別けられることが多い。 コントラクトファニチャーは、不特定多数の人が使うためとにかく堅牢で、なおかつメンテナンスが容易で、安全性も強く求められる。数もある程度まとまって製造される事が前提条件になる。 そのためデザイン性が犠牲になることもしばしばあるのが現状。 ただし世の中にはデザイン的にも業務用家具としても完成度の高さをも持ち合わせているものもある。 例えば世界的にも有名なトーネットのNO.14やウェグナーのYチェア、プロイヤーのチェスカチェア、ヤコブセンのセブンチェアなどである。しかし、それらは非常に稀有な例だ。 水之江さんのこの椅子は間違いなくこれら世界の名作椅子に比肩する存在であると私は確信する。 そんな名品が誕生するにはやはりそれなりのストーリーがあり、見えない作業の積み重ねがあったようだ。
●左からトーネットNO.14、ウエグナーのYチェア、ブロイヤーのチェスカチェア、ヤコブセンのセブンチェア
その産みの親である水之江 忠臣(1921〜1977)は、大分生まれ、日大の工科建築科を卒業の後に1942年には日本のモダニズム建築を牽引した前川 國男の建築設計事務所に入所する。 伝え聞けば、彼は所員というより、イコールパートナーのような立ち位置で前川の設計する案件に家具担当として仕事を担っていたということだ。 研究肌の彼は、海外の名作椅子にも精通し、実際ハンス ・ウエグナーやチャールス・イームズとも親交があったという。 また、ハーマンミラー社の日本での総代理店だったモダンファニチャーセールスの相談役もされていたということだ。
寡作のデザイナーが遺したものは
寡作のデザイナーとして認知されていた彼は、一つのプロダクトを改良に改良を重ねその完成度を高める事を目指したという。 このS0507Nも100回以上の修正が加えられた事は、水之江忠臣を語る時に必ず出るエピソードだ。 生前「デザイナーは一生に一つ、本当に良いものが残せたらそれでいい」といつも語っていたという。 実践があればこその言葉だが、並大抵のことで出来るものではないだろう。
デザイナーやアーティストにとって「寡作が良いのか多作が良いのか」という議論を時に目にするが、その作業量や作業時間が発表する作品量とは必ずも一致はしない。 人それぞれであって、モノづくりに対する姿勢の違いだと思う。
しかし、現代もそうだが、高度経済成長期において、引き算のデザインの典型とも思われるこの椅子を更に何度も何度も手直しをした水之江忠臣という人の熱意、あくなき探究心、哲学には最大級の敬意を表する。 そして56歳という若さで鬼籍に入られた水之江忠臣という人物のデザイナーとしての矜持が見られなくなったことがとても惜しまれる。