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NIPPON PROUD にっぽんプラウド | 日本のモダンデザインインテリア 偏愛カタログ

ヘロンチェア/The Japanese Rocking Chair

ヘロンチェア/The Japanese Rocking Chair

2023.09.22

  • 文  :NIPPON PROUD 森口 潔
  • 協力 :株式会社天童木工 

ロッキングチェアの効能とは

1990年代から2000年後半まで活躍したイギリスの有名なバンド「OASIS/オアシス」。 このオアシスが1998年にリリースしたアルバムに「Rockin’ Chair」という曲がある。  自分の元を去っていった恋人を歌ったものだが、ロッキングチェアが、それまでの幸せな時間の象徴のように表現されている。 今は主の居ない、ゆらゆらと揺れるロッキングチェアが、喜びに満ちていた日常を主人公に思い起こさせる。

(882) Oasis – Rockin’ Chair (album version) – YouTube

暖炉の前で老夫婦が暖まりながら、何気ない会話と共に幸せな時間を過ごす。そんな場面の必須アイテムはロッキングチェアがデフォルトだ。 赤ちゃんの揺りかごを持ち出すまでもなく、人にとっての「ゆらぎ」はとても心地よいもの。 胎児だった頃に母親の胎内にいた時の状況の再現で、安心感を得られるからだという。  揺りかごもハンモックもロッキングチェアもみなリラックス効果で幸せな時間を享受できる。 更にロッキングチェアの場合、揺らさずに座っても、自然に重心の位置に傾くので、全身の力が抜けて、くつろげるという。

しかし、それはそもそもがイギリスやアメリカで愛用される「洋」のものであって、住居スペースのさして広くない日本には、場所を取るロッキングチェアは、憧れはするものの、作り手や使い手の優先順位はかなり低い。 低いがゆえに、わざわざ日本製を選ぶ人も少ない。  そんな中でひと際輝くロングセラー商品がある。 それがヘロンロッキングチェアだ。 

名作ヘロンロッキングチェアの誕生と履歴書

このヘロンロッキングチェアは、株式会社天童木工で長く商品開発の先頭に立たたれた、菅澤 光政氏のデザイン。同社のインハウスデザイナー三傑の一人と言われた氏が1966年に発表したロングセラー商品だ。 入社僅か3年の菅澤氏が初めてデザインしたもので、当初は連結すると応接用の長椅子になるいわゆるセクショナルチェアの開発から進められたという。 ロッキングしない一本脚のチェアの形状が白鷺に見える事から英名のHeron(ヘロン)が商品名になったと聞いているが、確かに神の使いだと言われる鷺の優雅な姿に見えなくもない。  

ロッキングチェアは、重心が移動するという性格上、フレームは歪みやすいし損傷しやすい。 一筆書きのような、どちらかと言えば華奢なフレームで、その課題を見事にクリアにしているのは、「コマ入れ」のある一体成型の技術だ。 もともと強い成形合板に無垢材を組み合わせて、継ぎ目のない、より自由なカーヴが描けるデザインの自由度と更なる強度を得られるのも、天童木工が開発した多方向プレス機に負うものだという。 当時の技術部長で菅澤氏の上司でもあった乾三郎氏が開発した複数のプレス用のシリンダーを持つこの最新鋭の機械と技術で同社の「コマ入れ成形」は、この手の加工の独占的な位置に居た。(乾三郎氏の詳しい記述は過去のブログでも触れています。こちらもぜひ参照ください)

改めてこのS-5226(天童木工の型番)なるロッキングチェアを他の椅子と比べながら見てみよう。 すでに書いたようにロッキングチェアは特に脚部に荷重が加わる為、接地する曲線部分に至るところは補強されていたり、金属製にしているものが多い。 それはハンス・ウエグナーもチャールス・イームズだって例外ではない。 安全性と堅牢性を考えれば至極当然の帰結だが、この椅子は一本脚でスクッと立っている。 フレームが簡潔であるが故の軽快さや精錬さ、潔さはなんとも日本的ではないか。  思うに、この椅子は、乾氏が開発した新しい加工機械の誕生と、若干20代半ばの青年の熱いクリエイティビティと、アメリカにまで自社製品を輸出しようと夢を実現しようとした企業姿勢が、見事に一点に重なつた結果ではないだろうか。 私はそう思う。

当時の政府の推奨もあって外貨獲得のためにそもそもアメリカ市場向けに作られ、ノックダウンで輸出されたものを現地の協力工場がアッセンブリーをして販売するなどの工夫もあって順調だった。 しかしながら、円の変動相場制導入(1973年~)の関係から米国現地の市場価格に合わなくなり、アメリカでの販売数は減少したようだ。 もともとは、アメリカ人に、ユラユラと揺れて貰うつもりだったものが、結果、日本のロッキングチェアを代表する名作になったのだから嬉しい誤算というか怪我の功名といえないだろうか。

菅澤 光政というデザイナー

資料によれば、このヘロンチェアシリーズをデザインした菅澤光政氏は、1940年生まれで葛飾区の畳屋の次男だったという。 モノづくりへの興味が強く、大学は千葉大学工業短期大学(現:千葉大)木材工芸科へ進む。 教師の紹介もあり1940年創業の天童木工に1963年に入社する。 奇しくも菅澤の生誕と同じ創業年だ。 天童木工のキャリアの中でも入社3年目にして社員研修としてデンマーク国立技術研究所に半年間学んでいる経歴に目を引かれる。  

私事ながら私も1980年代に、当時所属していた会社の研修(とはいうものの2名で)デンマークを訪れたことがある。 当時は米ソの冷戦時代だからソビエト上空は飛べず、しかも給油も必要だったのでアラスカのアンカレッジ経由での航行だった。 飛行時間も今の倍くらいかかったのではないかと思う。 中継地という事で一旦機を離れ、降り立ったアンカレッジ空港の外界は暗く荒涼としていて、なにかこれから地の果てに連れていかれるのではと不安が募ったものだった。 なぜかたどたどしい日本語で暖かいうどんを勧めるアラスカ人(?)の飲食店員のおばさんにホッとした事を思い出す。 着陸が近づいて、低空から見えたコペンハーゲンの町並みは、まるでおとぎ話の世界のような美しく愛らしい姿だった。    まぁそれ程日本からデンマークは、遠い遠いホントに異国の地だった。 そんな地での半年間はさぞや心細かったろうにと想像する。

菅澤氏が渡った頃のデンマークは、家具を中心としたデザインとハンディクラフトの黄金期と言われた時期。 優秀な家具木工職人とデザイナーが協働して優れたプロダクトを次々と生みだしていた。 もちろんいくつかの要因が重なってのことだが、その隆盛がゆえに粗悪品も出回り始めた。 そこで心あるメーカー数社が、1959年にDANISH FURNITUREMAKERS’ QUALITY CONTROL(ダニッシュファニチャーメーカーズクオリティコントロール)なるものを設立し、厳しい基準をクリアした家具にだけ「DANISH FURNITUREMAKERS’ CONTROL」のマークを付けることを許したという。

この機関には当時のデンマークの多くのメーカーが参加し、デンマークデザインのクオリティーを高い位置で保つことが出来たことは間違いないだろう。 おそらく菅澤氏は、これらのデンマークのモノづくりの厳しさ、姿勢を学んだことだと思う。 そして半年間、デンマーク国立技術研究所での研修で得た知識を日本に持ち帰ることになる。

天童木工では40年以上商品開発部の責任者として、多くの著名な建築家やデザイナー、新進気鋭の若い能力との仕事を技術面から支えたと聞く。  デザイナーから図面を渡されて、それを忠実に作るという作業以上に、作り手側から、「我々はここまでの事を出来るぞ」という心意気を見せて、クリエーターの能力を更に引き出した事は想像に難くない。 そして自らもデザイナーとして40脚にも及ぶデザインを生みだしている。

菅澤氏の強みは、この「技術者兼デザイナー」と言われる点にあったと私は確信する。 生涯に500脚以上のデザインをしたと言われるデンマークのハンス J.ウエグナーは、幼いころからモノづくりが大好きで17歳にしてマイスターの資格を取得、その後にデザインを学んでいった。 椅子のデザインを進める際には必ず1/5スケールの模型を作っては、その見えがかりや、強度、全体のバランスなどを慎重に検討していた。  私には、そんなウエグナーの姿が菅澤氏にダブって見える。 実際このヘロンロッキングチェアをデザインする際も、自ら作った模型を使いながら試作を重ねたという。  私は、机上で図面を描くだけのひとをデザイナーとは呼びたくはない。 そこには作り手、使い手の目線が確かにあって、また現場主義でなければならないと思う。 菅澤氏はそんな複眼を持った人物だと私は思うのだが。

そしてわがヘロンチェアの役割は?

ロッキングチェアの揺れが、ゆりかごのような誘眠効果があると言うが、私の場合眠くなるというより、頭の中が整理される事の方が、圧倒的に多い。イサム・ノグチをはじめ数多の建築家やアーティストにこの椅子の愛用者が多いのは、実はこの効果に依るものじゃないのかと思う。 ブログや他の文章を推敲すると、あれやこれやと詰め込み過ぎてまとまりがなくなることが多々ある。 そんな時に我が家のヘロンチェアはよぃ助っ人になる。 また、年齢的な事もあるのだろうが、昨今の時系列シャッフルとでもいう、過去と現在が交差するような展開の映画や二重三重スパイなどのドラマの展開の話は、なかなか分かりづらい。 一時停止したり、巻き戻しをして、しばしストーリーの理解に努める。そんな時の足を少し上げてのゆらゆらは、効果的なのだ。 そして何よりサイドビューで見られるフレームのラインの美しさを毎日楽しんでいる。

そしてもう一つの楽しみ。 もし私がこの椅子の販売をまかされたら(まずそのようなことは100%ないが)ネーミングを語感も字ずらも良い「SHIRASAGI」Chairにして再びアメリカに輸出する。 そして菅澤さんの名前も前面に出して、一大キャンペーンを張り、販売数も伸びたところで今度は北欧へと販路を拡大する。 そんなわくわくするような夢を見られることだ。

ヘロンロッキングチェア/Heron Rocking Chair 

●商品スペック               

  • 材質 :ホワイトビーチ/ファブリック
  • サイズ:W582 D853 H930 SH428  
  • 価格 :¥114,400(税込み・ファブリックBランク) ¥119,900(税込み・ファブリックCランク)
  • 重量:9Kg